【7年で歴史から消えた大学】民族を超えた友情は日中友好の架け橋に 満州・建国大学 卒業生たちの知られざる戦後【ABCテレビドキュメンタリースペシャル♯41】

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  • Опубликовано: 17 окт 2024

Комментарии • 8

  • @namhoi-d1d
    @namhoi-d1d 4 месяца назад +6

    台湾出身の建大生を祖父に持ち日本のテレビ局で記者を勤めている若い中国人により、こんな意義深いドキュメンタリー番組が制作され放映されていたんですね。
    満州に設けた矛盾だらけの国策大学と言えど、ここに集い共に学んだ若者たちに芽生えた絆が今日も引き継がれていることに驚嘆しました。
    ふと手にした『五色の虹』をゆっくり読み返し始めたところです。
    多謝❗️

  • @shiba-zc4hv
    @shiba-zc4hv 4 месяца назад

    田中さん、先川さん、背筋がピンとしてて93歳、100歳にはとても見えない...すごい。

  • @annakajino4764
    @annakajino4764 4 месяца назад

    日本人ですが、建国大学、OBの方々の日中友好の軌跡について、知りませんでした。素晴らしい特番をありがとうございます。

  • @暇時郎戯言翁
    @暇時郎戯言翁 4 месяца назад

    高校時代の英語の恩師は晴雲の心ざしで満州建国大学に学ぶも僅か1年足らずの在学中に敗戦。
    混乱の中、半年以上かけて満州朝鮮半島を逃れ日本に帰国したとか。
    その後米国占領下で英語の時代に、地元の旧帝国大学の英文科に学び英語教師なった人でした。
    雑談の時満州の話が有り、中国語の話しもあった、注音符号の説明や巻舌音にも不思議な感じが した。 
    その十数年後、台湾国立師範大学(旧台北高校校舎)の国語教学中心で中国を学んだ。そこでは高校時代恩師が話した注音符号に再会し驚いた。当時は既に拼音で日本、中国では教えていたので。
    又亡父の親友はその父上が満鉄の高級技師(九州帝大工科卒)だったので子息は将来の満州為にと建国大学第1期生として卒業されたとか。
    戦後はその父上がソ連や中国に技師として抑留されので帰国が相当遅れたとも聞いた。あれだけ大鉄道網をキチント動かすにさ大変な事である程度の数の日本人が必要だったのでは?
    当時の歴史としてもっと詳しい日満関係史や満州政治経済、教育、社会構造史の出版があれば興味深い。

  • @あんにゃ-g9z
    @あんにゃ-g9z 4 месяца назад +1

    五族共和とか多様性なんてのはまやかしということが今も昔も同じ

  • @和田隆-n8y
    @和田隆-n8y 4 месяца назад

    この人たちと少年開拓団の人達の違いを研究している人は何故いないのか、学問と消耗品の違いを人間に及ぼしたとき何故こうも差があり得るのか、学問はそんなに崇高か。

  • @leonvonhung936
    @leonvonhung936 4 месяца назад

    🎌臺灣🤝日本🤝滿洲國🤝朝鮮🎌

  • @鈴木洋子-l5t
    @鈴木洋子-l5t 4 месяца назад

    アメリカだろ